2009年12月17日木曜日

7人の戦士にみえた 3


つづいて

6番手:M管理栄養士 

牧丘病院に就職したときは、教えてくれる先輩もおらず、たった一人で栄養士として模索しながら働きました。そして、独学で管理栄養士となり、訪問にでかけるようになりました。

「私を、教えてくれたのは、多職種」だと。

初めての就職先で、栄養士は一人だったという環境故に、


多職種と相談し、話しあえる土俵で育ちました。そして、道を切り開いてきました。


本人は気づいていませんが、各 専門職の役割や視点を、誰よりも一番理解しているのではないでしょうか。


発表では、

在宅で冷蔵庫を開けて家族と話している場面や、

お茶の形態と水分摂取確保を 介護力という視点から 

おばあちゃんから娘さんにシフトしてアプローチ。解決に至った症例。

感動しました。

この研究発表に向けて、夜中の2時まで、悩んだ末、一番すばらしい仕上がりでした。

いつも綺麗なMさんなのに、夜中、あんな眠い顔のMさんを初めてみました。



つづく

2009年12月16日水曜日

7人の戦士にみえた 2


↑の写真は、研究発表にむけてミィーティング中の場面


続いて

3番手:Iケアマネ

病院は敷居が高い。

「だからこそ、自分は病院に足を運び、顔が見える関係性を目指す!。」と


病棟看護師たちが多くいる会場で いい切ったじゃん。

かっこいいですな。



4番手:Y訪問NS

介護力の見極めが大切。

入院中から在宅生活を皆でイメージできるよう

医師やスタッフと情報提供をしていきます。

入院中の様子を、病院へ見に行って病棟看護師と視点を共有しますとおっしゃってました。

なんとも心強い。嬉しい言葉です。



5番手:U歯科衛生士

 歯科衛生士の重要性。伝わったと思います。

具体的な実践例を写真で説明し、

1.口腔領域の清潔が保たれた。

2.摂食・嚥下障害の減少が図られた。

3.QOLの向上が認められた。とまとめました。

これは本当です。

牧丘にきて、よく耳にするエピソードとして、

誰もが無理だとあきらめた時、最後の手段として歯科衛生士さんに関わってもらう。そうすると奇跡のような事例が起こるという展開の物語です。

この奇跡の話を、今回 現実に見せて頂きました。

不随意運動があって、いつもよだれがでて口をカクカクして、ほとんど話せなかった方が、

今では、

安定した食べっぷり、そしてローレライを歌い、体重が3kg増えました。

歯科衛生士って、魔法使いみたい。



つづく

2009年12月15日火曜日

7人の戦士にみえた


看護協会主催で研究発表がありました。

テーマは『連携』

牧丘チームは、連携においては プロの集団。

調整能力は抜群にレベルが高い。


研究発表は、多くの質問と理想的な連携モデル だと講評を頂き、大成功をおさめました。


1番手:牧丘H師長 発表者7名を紹介。

そして最後にパワーポイント操者の私も紹介してくれました。


師長、一番手とあって、聴衆の心をほころばせます。


私は、赤エンジー、白ロンジーのミャンマー衣装で出席(貧乏でスーツがないため。)
 
師長が、「国籍は日本です。」というと ドッと会場が朗らかになった。


いざ、牧丘病院の概要を話し始め、室内が暗くなった。

おもむろに、師長 マイクを片手に「暗くて目がみえないわ。メガネ メガネ・・」

ドッとさらに会場が和やかになっていく。

聴く準備が整ったところで、



 牧丘病院が訪問診療や在宅に力をいれていることを写真とともに説明しました。




2番手:I病棟NS Aさんの事例の概要を説明しました。



続く

2009年12月14日月曜日

おわり そして はじまり


昼過ぎ 古屋先生から 「面白い本があるから」 と 電話が 確かに かかってきた。

病院に行こうと思い立ったところまでは、覚えている。

気がつけば 翌日の朝。

空腹で目が覚めた。

そして

ごはんを食べてみた。

たべると、トイレに行きたくなった。

便がでた。

身体がスッカラカンだ。


とたんに、走りたくなり、家を飛び出して、ぶどう畑を駆け回った。

汗をかき、はて 最後にお風呂に入ったのはいつだったか 勘定した。



思いだせない。 


しかし ひさしぶりの湯は たいへん気持ちよかった。


 8時。さあ、出勤。いってきます。



ここ半月。多くの行事がありました。

エネルギーが充電しましたので、ブログを更新していきます。


牧丘 オーハラ 

2009年12月4日金曜日

患者さんが語る先生4



つづき

在宅チームが動き出す時。

感動したことが一つある。

チームに上下関係がなく フラットでした。

体位交換をしたり、摂食介助をしたり、冷蔵庫の賞味期限を確認する

看護師のような院長ですので、

看護師の視点も十分すぎるほどもっている。

そのぶん、話が早く 在宅の視点がチームで共有しやすい。

また 看護師にとっては、看護の領域の重要性をしっている院長であるが故

厳しくもある。



 さて、在宅チームには院長だけでなく、魅力的な女医のチームもある。

この女医チーム。各職種が、先生も含め、最大限に意見を交し、いつも活気がある。


 女医「私は、チームの一員よ」 

 それは、多職種や先生含め、互いの言動 働く姿勢から 容易にみてとれます。

 チームで一緒に作り上げる。先生は、それができる在宅の先生です。

 

牧丘 オーハラ

2009年12月3日木曜日

患者さんが語る先生3



続き

多くの患者さんが物語る先生の話を聴いて、

 皆で感動したり 笑ったりする。

また院長が物語る多くの患者さんや、その家族も、

一人ひとりが輝きだし人生が生き返ってくるような語りだ。

看護師さんたちも、物語は得意である。

 医療だけの視点ではないところを、いかに大切にしているか。


 例えば、満州から日本に戻り、山を開拓し、牧場を開き、年を経て、牛も集落もなくなったけれど、最後の住人として暮らしたいと、肺が悪いお年寄りが、酸素をしながら、標高の高い山の上で暮らしている。

 この患者さんの、物語。壮大なスケールでスタッフたちは語ってくれます。

 そして、訪問診療でお年寄りと会う。

 ただのお年寄りから、只者ではない映画のキラキラした主役に見えてしまう。 

 私は、牧丘で この物語の大切さを学んでいる。


つづく 牧丘 オーハラ

2009年12月2日水曜日

患者さんが語る先生2

話の続き


昼食の頃、

早く食べ終わり、病棟の廊下を歩いていると

病室で男が 食事中の患者さんの魚をほぐして骨を取っている。

院長だったそうな。




退院して在宅へ戻った時、

冷蔵庫の賞味期限を確認している男がいる。

院長だったそうな。




この方、在宅で診てもらい15年以上の付き合いだそうな。


微笑みながら話をしてくれた。




 
そして帰り道、男が座っていた。
 
パンクか。

院長らしい。







つづく 牧丘 オーハラ

2009年12月1日火曜日

患者さんが語る先生1


退院した在宅の患者さんから聞いた話。

入院中、隣のベッドの人が、すぐ人に用事を頼む人だったらしい。

「ちょっと、あれとって」「カーテン閉めて」、「身体の向きを変えてくれ」と。

ある日、

「違う! もっとこっちに身体を向けて!」

「こうけ?」 

「違う!」

と 身体の向きを変えようとしている男がいる。

看護婦さんは、たいてい女性なので 男性の声は おかしいなと思って振り向いた。

古屋院長だった。

これまで病院の先生というものは、患者さんから「身体の向きを変えてくれ」といわれると、たいてい「ちょっとまてて 看護婦さん呼んでくるから」と その場からいなくなってします。

けれど 牧丘の院長は、身体の向きもかえてくれる。

そんな先生なんだと

目を細めて語られていました。



続く 牧丘病院 オーハラ

2009年11月10日火曜日

牧丘病院について

牧丘にきて3か月

牧丘病院の特徴を 公の場で説明するとしたら

こんなふうに 話そうと思いました。



牧丘は、果物が豊富で温泉と山々に囲まれた盆地。

自然豊かな場所です。

人口約5600人。高齢化率は34.3%。高齢化率が高く、交通確保が困難な山間部周辺の地域医療を担っています。

この地域特性により、当院では、訪問診療を軸とする院長のもと、往診や訪問看護を中心に機能し、さらに病院全体が在宅へ戻れるよう多職種と連携がとれる在宅調整を主としてチーム編成が行われています。

また嚥下・摂食にも積極的な関わりを展開。歯科衛生士や歯科医師、STとともに生活を支えるサポートが充実しています。

牧丘病院の魅力は、上記の強みを活かす活動が盛んに継続し全国展開に拡がっているところです。

ここで働き、在宅調整や口腔ケアで関連する人々と出会いがありました。

横のつながりを、どのように充実し、地域や人々が共に支えあう地域が実現するのか。

牧丘の人々は、研修生を快く受け入れてくれ、のびのびと学ぶ環境を提供してくれます。

また院長自身も、「この世の中のすべての人々の不平等がなくなること」という願いのもと、関わった人々を家族のように大事にするプライマリーケア医として、また若者を育てる教育者としても優れています。

すばらしい景色と、温かいスタッフ、そして豊かに生きることをみせてくれる患者さんたちと過ごせる日々は充実した輝ける時間です。

牧丘いいところですよ。ぜひ訪れて下さい。

よってけし


牧丘 オーハラ

2009年11月2日月曜日

ワンタメニー


世界が船のように大きな波で上にいったり、したに落ちたり、グルンとまわった。

そして、言葉を手に入れてしまって、外側と内側とのパイプをつないでしまい、

内側の世界を自分のものだけにできなくなってしまった。

本を読み終えたあと、我に返り 気持ちを言語化している自分の速さに驚きました。

世界が大きく動いたように思える自分の心模様と子供のころの私を重ね、検証し、

この本を貸して下さった好奇心旺盛な民俗学者の子供時代の語りや、その学者とそっくりな子供に、

なんだか「有難うございます」と伝えたくて、温かな気持ちになった。




私は、夢中になると まったく周囲が見えない聞こえない子供でした。

それが思春期になると、次第に 友達から怒られ からかわれ

だんだん、

夢中になる自分を、私自身が恐れたものです。

なので、集中したふりをしながら周囲がみれて話がきける自分を作り上げたものです。

そして、極力 夢中になるものを削ぎ落とし、

我慢ならないときは、こっそりと 場所・時間を注意するようになり

一人になったものです。


そして30歳手前、

とうとう 一人にならなくとも、夢中になりながら、周囲の話も聴けるようになっていました。

これは、いよいよスタートなのか。

それもとも、失ったものを切なく思うのか。




まったく、とんでもない本です。

その時代をもつ人のために

深くしみます。

『思い出のマーニー』